Ayu Style(アユスタイル)

ワタシ、世界一のママなんです。

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ワタシにはたった一人のかけがえのない息子がいます。

妊娠中はとにかくつわりがひどくて、
妊娠7ヶ月までほぼ寝たきりの生活をしていました。

 

生まれてきてからはもっと大変。
睡眠時間もゆっくりご飯を食べる時間も取れない数年間。

 

ワタシは本当にこの子を愛しているのか?と悩んだり、
『2人目は?』と聞いてくるおばさまを睨みつけたり。

 

小学校に入ってからは、3ヶ所骨折したと学校から呼び出されたり。

 

小学校高学年からはニューヨークの小学校に行き始めた息子の送り迎えの毎日。

作ったことのなかったお弁当。
生まれて初めての専業主婦。

 

中学校はアメリカの全寮制の学校に行った為、離れて生活。

 

高校受験はアメリカの高校を6校受験しました。
親の面接が6校ともありました。

 

そんな息子も20歳を越えて(2021年現在)大学生。

ボストンと東京と離れていますが、一緒に旅行に行ったり買い物に行ったり。

また大学の卒業式ではいろんなことを感じるのでしょうが、高校の卒業式に感じた感情は一生忘れないと思います。

 

 

 

 

息子の高校の卒業式で感じた意外な感情

 

(2018年5月27日)

卒業式で感じるだろうと予測していた感情とは全く違う感情を感じた数時間でした。

とにかく、しゅんしゅん(息子のことです)が
ものすごく周りの沢山の友達とその家族の方に助けられてるんだな、と。

寮生活なのでアメリカ独自の祭日などで休校になる数日間、
日本に帰国することのない時は誰かの家に泊めてもらう事になるのですが、

その「誰かの家」の「誰か」、そしてその「家族」にご挨拶とお礼を言って回りました。

親としてはとにかくありがたく、もちろん感謝が溢れたんだけど、

想定外だったのは彼らの反応。

沢山のしゅんしゅんの友達の家族から
「私が」ハグされて、しゅんのママに会うのが楽しみだったの!
きゃー会いたかったのよー!
うちに来たらしゅんは私たち家族と色々と話してくれるのよ!
あなたも今度ぜひ泊まりに来てね。これから来られないの?
え?マンハッタンに戻るのね。え?明日帰国?なんなのー!
今度はしゅんだけでなくあなたも是非泊まりに来てね!

とか、

しゅんの友達の家の隣のおばちゃん(つまりしゅんのお友達の家族じゃない)までもが来ており、

あなたの息子はすごいって事あなた分かってるわよね?
私の作ったものは何でも美味しいって食べてくれるのよ!全部よ!
いつも私といっぱい話してくれるのよ!
もうしゅんは家族なのよ、私にとって!

とか、

「私自身が家族のように扱われた」という事に、
感謝を通り超えて

なんと言うか驚きと共に感じたことのない「しゅんしゅんの人生」の
光の一部に触れられた気がしたのです。

友達本人と仲良くする事、
そして、彼らのおうちに泊めて頂く、事まではある意味想定内。

彼がその家族や兄弟、親戚、近所の方までもに大切にされている感じとか、

そのおかげで「全くの初対面」の私までもが
たくさんの方にハグされ、逆にお礼を言われるなんて、

「完全に想定外のまたその枠の外」な体験をしたのでした。

「何日も徹夜して勉強する日々は辛かったよね、卒業おめでとう。」

なんていう想定内のコトバは吹き飛んで木っ端微塵。

コトバを失い、ただただしゅんの後ろをついて周り、
沢山の方にお礼を伝えても

私の英語の表現より何倍もの豊かな表現力で逆にお礼を言われる
そんな光栄さを体験したと共に

これからまた4年間大学に行くことの厳しさとか、

その先就職するのにアメリカのVISAを取るのが今は本当に難しいらしい事とか、

の、先への不安が何となくぴゅーっと小さくなって

何が起きてもこの子ならきっと大丈夫。

って思えるそんな根拠のない自信が
代わりにむくむくむく。って沸き起こる体験をしました。

私なんかより
ずっと大人でずっとコミュニケーション能力が高く
人生を切り開く力を手に入れているそんなしゅんしゅんの卒業式を

母親として、というより一人の人間として

なんと言うか「感慨無量」というコトバをはるか通り越した
コトバにならない光栄さを感じたのです。

あきらかに
私はとても幸せな人生を生きているなぁ、と
また違う種類の光栄さも感じて、

それが混ざってどばーっとぐわぁーっと押し寄せてくる、

そんなコトバにとても出来ない感情に溺れております。

しゅんしゅんには
卒業式なんだけど、「おめでとう」っちゅーより「ありがとう」と伝えたい。

ママはあなたのママで本当によかった。
本当にありがとぉぉーっ!

 

 

 

息子の21歳のお誕生日に感じたキモチ

 

(2020年8月21日)

その後「舜亮」(しゅんすけ)と名付ける息子が、
産まれたのは21年前の今日、本当に暑い蝉の声がうるさい夏の午後だった。

先輩経産婦から、鼻の穴からさくらんぼじゃないりんごだよ。とか
いきむときに目を閉じると顔の毛細血管が切れて顔に赤い斑点でるよ。とか
おしりから打ち上げ花火あげるつもりで、とか

必要か不必要かは置いておいて、情報にまみれていたけど、怖かったな。

そもそも、予定日からは10日も過ぎていた前日お昼に破水して病院に入院し、
夕方から陣痛促進剤を点滴されて、ほぼ24時間が経とうとしていたとき、
待ちくたびれたのは、ワタシじゃなく両親とオットだった。

美味しい冷やし中華を食べに行ってくるね、と手をひらひらして3人で出かけていった後ろ姿を
何も言わず、下唇を噛み締めて見送った。

結局、彼らが美味しい冷やし中華を食べて帰ってくるまでの間にワタシは出産した。

暑くて暑くて、分娩室のエアコンをもっと強くしてくれませんか?って
途中で何度も言ったら、
看護婦さんから「もう設定温度19度やからこれより低できひんわっ!」って
最後は軽くキレられた。(きっと寒かったんだと思う。)

しゅんしゅんは小さくて、小さな声で泣く赤ちゃんだった。

お腹の上にとん。と初めて乗せられた時、
あれ?全然可愛いと思ってない自分に驚いたけど、

10ヶ月間、お腹の中でもぞもぞ動いたり、
時に「うっ。」とうめき声をあげるくらいに中から蹴り上げられて痛みを感じたのは、
君だったんだね。そっか。君だったんだね。っていう感じのなんとも言えない親近感を感じた。

あれから21年間、ワタシの人生はいろんな事が起こった。
しゅんしゅんを産む前より、母になってからの方が色々あった。

そんな時に、文字通り隣にいてくれたのがしゅんしゅんだった。

本当にワタシはこの世界で、ひとりぼっちかもしれないと真剣に思った時も、ふと横を見るといつもそこにいてくれた。
ワタシが自分の面倒を見るよりも、しゅんしゅんの面倒を見る方がずっとずっと楽だった。

それくらいに20台のワタシは捻れた愛や粘度高めの感情に覆われた本質を隠して毎日を生きていた気がする。
お金が必要な分より多くあり、物質的には満たされていたから、
幸せの本質の部分に気付く事が遅れてしまった。

30台になっても、ワタシの捻れた愛や自分らしく生きることに全く取り組まない姿勢は変わらず、
どう生きていいのか分からないまま時間だけが過ぎていく。

お金は相変わらずあったから、人から羨ましがられることもあったけど、
本質の部分はカラカラと音を立てるほど空っぽだったと、今から振り返ると思う。

自分という人間が「何者であるか?」に気付けず苦しんでいた当時のワタシにとって、
目の前の人に求められるような「都合のいい」人になることは実はそんなに難しいことじゃない。

だから、こんな母親だったら最高だなって自分で思える自分になることは簡単なことだった。

それが、ワタシに大きな学びを与えた。
ワタシが与える愛や喜びの数百倍の愛や喜びをいつの時もしゅんしゅんは返してくれた。
その大きさに感動を超えて戸惑う事があるほどだった。

人を愛するってことはこういうことなのか、と
人をありのまま受け入れるということは、こういうことなのか、と
ワタシはそんな「人間の器の大きさ」みたいなものを
高額な自己啓発セミナーではなく、しゅんしゅんから学んだ。

母になって12年ほど経った時、しゅんしゅんと別々に住み始める。
ボーディングスクール(寄宿舎学校)に行き始めたしゅんしゅんと会えるのは、年に4ヶ月ほどになった。

時々「さみしくないですか?」と(特に男の子のママから)聞かれる事がある。
答えは「さみしくない。」だ。

愛の距離とは物質的な距離じゃないことを、ワタシはこれもしゅんしゅんから学んだ。
離れて暮らし始めた時に、ワタシは自立できたんだと思う。

「女性の自立」は経済的な事にフォーカスされる事が多い気がする。
でも、ワタシみたいに経済的には「一見自立」して見えるけど、
実のところ、精神的に自立出来ていない人もいるって事だ。

あれから又10年ほどが経って、
ワタシの40台はしゅんしゅんのおかげで物心共に豊かになった。

愛が何かを学べた。

自分が何に欠乏していたのか、気付く事ができた。
そしてそれを誰かに埋めてもらうために誤作動を起こす事なく、自分で埋める事が出来るようになった。

ワタシは今が一番幸せで、一番満たされている。
なんか遺言を書いているみたいな気分になってきたけど、思い残すことがないくらいに幸せだ。

ここ10年のワタシは、自分の人生を自分らしく生きている。
「自分らしく生きること」がどういうことなのか?をしゅんしゅんに具体的に見せることもできている。
でもどれもこれも、しゅんしゅんのおかげ、だ。

私たち親子は愛がうまく循環した親子だと思う。(とてもラッキーだ。)
1999年8月21日に本当にしゅんしゅんが生まれてきてくれてよかった。

ワタシを母にしてくれたんじゃなく、
彼はワタシに愛と生命力を吹き込んでくれた。

それがあまりに大きくて、
ワタシはその「余り物」で人に愛と生命力を吹き込める人間になれた。

お互い周りの人に愛と生命力を吹き込みながら生きていきたいなって改めて思う。
人生色々あるし、いろんな人がいるし、もらい事故みたいなことも起きることもあるけど、
その時にそれに対処できる生命力を私たちは手に入れた。

とにかく怪我をしないで、健康でこれからも生きていこう。
これから今までの何倍も豊かに幸せに生きていこう。

しゅんしゅん21年間本当にありがとう。
お誕生日おめでとう。

 

 

ワタシの育児は育自でした

ワタシは「世界一のママ」です。

そんなワタシは頑張ってるママ(パパ)を応援したい。

「ワタシは世界一のママ(パパ)だよ!」って断言できるママ(パパ)を増やしたい!

実はそんなシタゴコロたっぷりのAyu Style Clubでもあるのです。

 

 

 

 

この記事を書いた人

Ayu

京都市出身。同志社大学在学中にスノーボード全日本チャンピオンの座を獲得。(世界ランキング20位) 国際線CAとして新人の頃よりファーストクラスに乗務しながら、ソムリエの資格も取得。 その後、口コミビジネス、フォトグラファー、人工知能の開発会社CMOと、携わった仕事は多岐にわたる。 個人的に一番好きな仕事は「ママ業」

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